「かゆいトコないですか?」と聞かれたら「当ててください」と言いたい

この世のすべてを笑いにかえて生きるタムケンによるブログ。過去の記憶、日々の思い、外国人の妻や障害(ダウン症)を持つ子供たちとの日常について、笑いとユーモアたっぷりのエッセイを中心に書いています。

〜空飛ぶ屋根と立星の手術〜後編

 

その日は休み。

三男、立星(りゅうせい)の手術が終わり、お見舞いに行こうとしていた。

 

前にも書いたが、子供が入院するととても大変だ。精神的に辛いという事だけでない。

まず誰かが本人に24時間付き添わなければならない。重体であれば集中治療室で24時間看護を受けられるが、そこまで重症でもない入院の場合、治療とは別の"生活"はいつもと同じく親が面倒を見なければならない。それ以上に厄介なのは、家にいる他の幼い兄弟の面倒を誰が見るのか、という事である。

1日2日なら母親が子供の入院に付き添い、父親が会社を休んで家の兄弟を見ることも可能だろうが、それ以上になると急場凌ぎでは対応できなくなる。

幸い、日本の健康保険は世界トップクラスの補助をしてくれる。重症でも子供の治療費は1日500円で済むので経済面の心配は無いが、実務面での問題がある。ウチの場合、私の親が他の兄弟の面倒を見てくれたので助かったが、年老いた親の体調が悪い、体力が無い、転勤族で遠くに住んでいる、海外赴任中など、核家族型のファミリーは一体どうするのだろうと思う。

 

ほとんどの場合、子供が入院するような病気や怪我は突発的に発生する。今すぐ緊急入院! 手術! 遅くとも3日後には手術!など、待った無しの状況がいきなり発生する。大事な仕事で今は絶対抜けられないのにとか、年末年始なのにとか、明日から旅行なのにとか、家族全員がインフルエンザでバタンキュー状態なのにとか、そんな事はお構い無しに、いきなり"それ"はやって来る。やって来たら最後、全ての予定や都合を子供の体調不良にフォーカスして対応しなければならない。病相手に交渉や延期は一切出来ない。

再来月に入院するので、兄弟の世話をお願いできる保育園を探そう、などと悠長にスケジュールを調整することなんて出来ないのである。

最短、最速、最優先にしなければ我が子が死んでしまう。

 

そんなこんなで立星もてんやわんやの中で入院。手術の前後にはタルギ(嫁さん)がずっと付き添い、私が仕事に出ている間は私のオカンがコナン(長男)とチューペット(次男)を見てくれていた。

 

そんな入院中の話。

 

今年は天災が多かったが、南大阪を直撃した天災と言えば、台風の三連打が挙げられる。

その時の私はそんな大きな災害になるとはつゆ知らず。台風の通り過ぎる真夜中、一人で築40年のボロ屋にいて、戦後最大規模だとか何とか言う台風で揺れる家の中、とんでもない風に揺さぶられ、何かが家にぶつかる音がうるさくて何度か起きてはまた眠った。私は眠りが深い方で、いったん眠るとまず起きることはないが、このときばかりは何度も起きてしまった。

ただ困ったことにマンションから引っ越してまだ一年半。この家で大きな台風を経験したことがなく、木造一軒家って結構揺れるなぁ、くらいにしか思ってなかった。まさかそんなに大きな台風とも思わず、タルギは眠れているのかなとか、立星の具合はどうかなとか、コナンやチューペットのことを考えていた。

 

数日後の土曜日。

 

朝から病院へ行こうとしていたところ、インターフォンが鳴った。カメラを覗くと、そこにはヨシオカさんの奥さんが写っていた。

ヨシオカさんはウチの裏手に住んでいる方で、お婆ちゃんと言うよりは、70代くらいのアクティブシニアだ。私が会うのは引っ越しの挨拶に行って以来ではないだろうか。何だろう。何かマズイことでもしたっけか。兄弟喧嘩が毎日うるさいとか。うーん、それならまず謝るしかないな。解決策は見当たらんけど。

とりあえず応対に出た。

 

「あら田村さん!おはよう!」

「おはようございます。何かご用ですか?」

「何度か来たんだけどね、しばらくお留守だったみたいで。やっと会えたわ!」

「はあ、そうですか。実はここ最近、家族は外にいまして、私は夜しか在宅してなかったもので」

 

立星の入院の何やかんやを説明した。

 

「そうだったの?大変だったわね。どうりで会えないわけね」

「で、何か?」

 

この後の質問に度肝をぬかれた。

 

「ところでお宅、屋根ついてる??」

 

そりゃついてますけど!?

 

凄い質問が来た。

初めての日本語だ。

屋根ついてる?って聞かれたことのある人っているのだろうか。いや、まずいないだろう。それ以前に屋根がついてない家ってそもそも家の機能を満たしていないんじゃないだろうか。インパクト大な質問にたたらを踏みながらも、何とか平静を保って応答する。

 

「ヨシオカさん、ウチの屋根はついてますよ。なんでそんなことを訊くんですか?」

 

「変なこと訊くって思ってるよね?じゃあちょっと見て欲しいの。とりあえずこっち来て!」

 

ヨシオカの奥さんはそう言うと、私の腕を引いた。どこかに連れて行こうとしている。

 

「いや、ヨシオカさん、私は今から外出でして」

「いいからいいから!ちょっと来て!すぐそこだから!」

 

グイグイと引っ張られる。

何事なんだろう。すぐそこって、何があるのだろうか。

我が家は小高い丘の中腹に建っている。

大した坂ではないが、その坂を引っ張られて行った。50メートルほど坂を登ったところでヨシオカさんは振り返った。

 

「ほら、アレ見て!」

 

私も振り返った。坂の下には我が家があった。坂を登ったので、屋根の上まで見えていた。そして、驚愕の事実を知った。

 

「俺んちの屋根が無い!?」

 

無くなっていた。我が家の屋根が。

ヨシオカさんの言う通りだった。

どう言うことだ?なぜウチの屋根が無い?

ある日突然屋根が無くなることってあるのか?分からん。全く状況が分からん。

とは言え、ごっそり屋根が無くなっているわけではなかった。どうも屋根の一部が飛ばされている状態のようだった。何と言う名前の部品か分からないが、屋根の面と面を繋ぐ峰の部分がかなり吹き飛ばされていた。

(板金と言うらしい)

完全に吹き飛ばされている部分もあれば、部品の端っこだけ辛うじてくっついているような状態の部品もあった。

夏の爽やかな風がやんわりと吹き抜けると、そんなそよ風ですら揺さぶられ、まるで鯉のぼりのように何枚かの板金が揺らめいていた。危ない。今にも何枚か剥がれ落ちそうだ。

 

「ね?お宅の屋根、無かったでしょ?」

 

ヨシオカさんいるの忘れてた!

 

すいません、あまりのショックで存在を忘れていました。

 

「いや、何て言うか、古い一軒家に住むの初めてなんで、屋根が無くなることってあるんですね」

「普通は無いわよ。でもあの台風は物凄かったもんね。それで飛んだのよ、きっと」

 

あの台風か。

確かに一晩中バリバリ家が鳴っていた。まさか自宅の屋根をはぎ取られている音だったとは。

それにしても謎なのはヨシオカさんだ。ウチより坂の下に住んでいるのに、なぜ分かったのだろう。角度的にウチの屋根は見えないはずなのに。

 

「ヨシオカさん、知らせてくれてありがとうございました。でもなんでウチの屋根が飛んだって分かったんですか?ウチより下に住んでるから屋根は見えないのでは?」

「だって屋根の部品が私の家の庭に刺さってたもの」

 

すいませんでした!

 

飛んだ屋根の板金はどこかに落ちる。それを見てご近所の被災を知ったと言うわけだ。

危ない。とにかく危ない。何とかしないと。

 

ん?

んん??

 

もしかして俺って"被災"してるの!?

 

今気づいたけど、どうも私は被災者らしい。

被災した本人が気づかないことってあるんだ。その前にまず謝らなければ。

 

「とにかくご迷惑をおかけしてすいません!」

「いや、別にいいのよ。軽い部品だし、台風の夜だったらか誰も出歩いてなかったし。幸い付近の人たちに怪我無かったし、他所のお家に損害も無かったみたいよ」

「え?お宅だけじゃないんですか?」

「そりゃそうよ〜。だって都合よくウチの庭にだけ破片が落ちるわけ無いでしょ。庭にある板を見たら、屋根の部材っぽかったのね。ご近所の奥さんたちに訊いてみたら何件かの家にも同じものが落ちててね。で、この辺りの屋根を坂の上から見たら、お宅の屋根の上に残ってる部材にかなり似てるわけ。他にも似てる部材を使ってる屋根はあったけど、壊れてる様子もないし、一応その家の奥さんたちに聞いてみたらやっぱり壊れてないって言ってたのよね。でもお宅はしばらく連絡つかなくてね。どうしようかと思ってたら今朝はいらしたから声をかけたってわけ」

「そ、そんなに動き回って頂いたんですか。すいません!」

「いやいやいいのよ。暇だし。主婦の世間話のついでに話したり集めたりしてただけだし」

「え?集めた?」

「そう。屋根の部材集めといたの」

「わざわざ?そんなに散らばってました!?」

「うーん、12枚くらいかな」

 

めっちゃ飛んでるやん!

重ね重ねすいません!

 

もうお節介を通り越して災害ボランティアの域である。怪我も損害も無かったとは言え、苦情どころか損害賠償されてもおかしくない状況なのに、ご近所だからと言う理由で色々と世話を焼いてくれたらしい。

屋根の破片は、捨てていいものかわからないのでヨシオカさんの自宅に置いてあると言う。

平謝りしつつ回収した。

 

自動的に体は動くものの、頭は状況について行けない。何往復かして破片を回収していたところ、別のご近所さんに話しかけられた。

 

「あ、タムケンさん!屋根が無くなったって?大変だわね〜」

 

「ヨシオカさんに、お宅の屋根かな?って聞かれたけどウチじゃないし。タムケンさんの家のこと、みんな心配してたわよ〜」

 

「あら、持ってるそれって破片?」

 

「雨漏りもしてるんじゃない??」

 

ご近所さん周知!?

 

そりゃそうなるか、ウチが聞き込みの最後なら。

私の知らない間に話題で持ちきりになってたっぽい。

 

額を伝う汗は暑さよりも恥じらいによるものの方がウェートが高いと思われた。ぜえぜえ言いながら破片を回収し終わった。

 

家の門を入ったところ、隣家のベランダで布団を干していた奥さんに声を掛けられた。

 

「あ、タムケンだ!屋根飛んで大変ね」

「そちらにも飛んでましたか。すいません」

「破片が落ちてただけやからかまへんよ。それはそうと、タムケン保険求償しなはれやー」

「え?」

「いや、だから保険の請求よ。入ってるでしょ?」

 

生命保険のことじゃないっぽいし、台風の保険でもあるのか?そんなの聞いたこともない。

 

「いや、台風保険とか入ってないんですよね」

「何言うてるの。台風保険なんてないわ。そうやなくて一軒家に住んでるからには火災保険とか災害保険に入ってるやろ?」

「はあ、火災保険なら一応、入った覚えはありますけど」

「そこに大抵は暴風とかの保険も付帯されてるんよ。風で飛ばされた破片が家に当たって壊れたり、逆に自分の家の破片がどこかに損害を与えたりした時の保険金がね。屋根が飛んだんやったら修理するための保険金がおりるはずやで。」

全然知らなかった。台風の保険適用があるなんて。

 

隣家の奥さんお礼を言い、破片を庭に放り込むと、家の入居の際に加入した契約書やインフラに関する書面の束を引っ張り出して色々と規約を見てみた。火災保険の契約書の規約を読んだところ、"風災の場合は〜〜 "のくだりあり。

 

あった。これか!

 

確かに風による損傷も保険対象になっていた。風災って言うのか。知らなかった。

それにしても家計を預かる主婦の鋭さってのはすごいな。私が思いもつかないことに一瞬で到達する。今回の件ではご近所の奥様方には世話になりっぱなしだ。

引っ越しを考えている皆さん、お住まいは是非とも河内長野に。素敵な隣人がいっぱいいますよ。だから屋根が飛んでも大丈夫!

 

保険の規約をざっと見ながら現状と照らし合わせてみた。うん、当てはまりそうだ。

 

携帯の着信音が鳴った。タルギからだ。

 

「タムケン、今どこ?

来る時間からだいぶ遅れてるけどまだ病院に着かないの?

事故ってない?」

 

忘れてた!

 

しまった。

俺ってば病院に行って立星の付き添いを嫁さんと代わるはずだった。

 

「え〜っとね、まだ家だよ」

「はあ!?なんでまだ家やねん!9時過ぎに病院に来るって言ってたのに11時前になっても来ないってのはどういうことやねん!あ!?

事故ってもうたんかと心配するやろ!

知るか?知りたいか?

大陸の怒りを知りたいんか!?おお!?」

 

ぐああ、めっちゃ怖い!

 

韓国人は気が短い。二時間の遅刻を待ってくれただけでも表彰ものだが、こっちにはこっちの事情がある。まあ病院で殴り倒されてもその場ですぐに治療してもらえるから大丈夫な気もするが。いやダメか。

 

「実はやんごとなき事情がありまして」

「どんな事情やねん!子供が手術して入院してその看病をせなあかんことを忘れるほどのことがあるんかい!」

「家の屋根がぶっ飛んだの」

「マジっすか!?」

 

流石にこの事態は大陸の女、タルギにとっても衝撃だったらしい。なぜ屋根が飛んだのか、今朝から何があったのかを説明したところ、ことなきを得た。大陸でも滅多にない事件と思われる。

 

保険や風災について一通り調べてから、病院に行き、立星の付き添いを代わった。

立星の手術は尿管の形成手術につき、命に関わるようなものではない。治療も大ごとではなかったので一安心。

 

それから数日で立星は退院した。

今まで続けていた抗生物質の投与は不要となり、最近は経過観察で通院する程度。入院や手術は大変だったが、この程度で済んで良かったと思う。

 

お隣の奥さんのアドバイスに従い、風災の被害を申請したところ、きっちりと保険金は支払ってもらうことができ、ぶっ飛んだ屋根は元どおりになった。築40年という経過を考えると元々痛んでいた部分をリニューアルできたとも言える。古かった屋根が新しくなって、何だか得した気分ですらある。

 

立星が入院したことは辛かったが、台風の際には家族は家におらず、怖い思いはしなかった。お兄ちゃんたちは、お爺ちゃん、お婆ちゃんの家に預かってもらい、チヤホヤされてご満悦。孫たちと過ごせてお爺ちゃんたちもご満悦。少しばかりお金も入って家の屋根も新しくなった。立星は福の神かも?と思えるくらいだ。

 

我が家に立星と言うダウン症の子が生まれて、先行きが見えなかった時は暗い気持ちになったこともある。具合が悪い日々が続き、救急車で運ばれたり、入院して手術をしたり、それに付き添っている時はとても不幸な気持ちだった。だけど生まれてきてくれて良かったと思う。この子がいない生活は考えられないくらい、大切な存在になった。

 

立星は今年、正式に障害者と認定された。

染色体異常は生まれた直後の細胞検査で確定されていたが、その後の観察で、成長は健常児の半分以下につき、障害ありとなった。

こっちとしてはまあ予定通りだ。事実、同じ年頃の子供に比べると視力も聴力も弱く、歯も生えず、歩くことも出来ない。この子がダウン症でなければ、と思わない日はない。もっと楽な人生になったのかもしれないとも思う。

けれどそれは大きな問題ではない。子供に障害があってもそれは自然の成り行きに過ぎない。本人のせいでも誰のせいでもないのだから。ただ一つ、確かなことがある。

 

この子はとてつもなく可愛い。

 

障害があって危うい存在だからなのか、年の離れた兄弟の末っ子だからなのかは分からない。多分、両方正しい。

彼にとって、成長が遅い事は普通。同い年の子供たちより能力的に劣ることも普通。彼が自分を他人と比べることもないし、悲しむこともない。慌てず、急がず、自由に、のんびりと、ゆるりと生きている。嬉しい時は全身で喜び、悲しい時は全身で悲しむ。原始の存在。

そんな彼の様子を見ていると、親の私も、障害がどうとか、将来がどうとか、どうでもよくなってくる。今は今。未来は未来。

 

君は生きていてくれるだけでいい。

 

立星が生まれた日、それは彼が初めて死にそうになった日。

私がこの子のために天に祈ったこと、願ったこと。

立星はその願いを今も叶え、生き続けてくれている。

 

あの日から三年。もう三年。

立星は三歳になった。

 


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#ダウン症