「かゆいトコないですか?」と聞かれたら「当ててください」と言いたい

この世のすべてを笑いにかえて生きるタムケンによるブログ。過去の記憶、日々の思い、外国人の妻や障害(ダウン症)を持つ子供たちとの日常について、笑いとユーモアたっぷりのエッセイを中心に書いています。

蚕の脱走

人の性格は十人十色。 

それを個性と言うが、時に他の9人を圧倒する人がいる。 

マッチョはそんな圧倒的な色を持つ人間だ。 

 

マッチョは私が大学時代に所属していた研究室の先輩だ。 

たまたま同じ会社に入ってしまったので会社の先輩にもあたる。 

しかし部署が全く違うので、上司と部下という関係ではなくあくまでも学生時代の先輩と後輩のままであった。 

商売や仕事上での接点がないため、今でも気軽に付き合える数少ない存在。 

 

学生時代、私が研究室に入ってマッチョを見、一目で分かった。 

 

「この人は多分、凄い人だ。しかも私に匹敵する変人だ」 

 

まず外見。

とにかく貧弱である。マッチョという名で呼ばれているのに細い。体重は40キロくらい。 もうおこちゃまサイズである。 

ヒゲは濃い。メチャクチャ濃い。イスラム人並である。 私が思うに、ヒゲに栄養をとられているから体が細いのだろう。 

ヒゲの濃さを強調するかのような坊主頭で、 

風貌は横山のやっさんそっくりである。 

身につける服は毎日大差ない。 

上はTシャツ一枚。もうダルダルに伸びきっている。 

冬場はセーターを着込んでいるが、これもダルダルで 毛玉の宝庫と化している。 

下は何百回も洗って完全に色落ちしたジーンズ。 藍色ではなく薄い水色。 

足元はボロボロに破けている。 

本人曰く。 

「俺は物もちがいいのだ」 

何でも中学の頃からの愛用品だとか。 

そしてベルトをしている。 

中学生がつけるようなベルトで、布製。 

通し穴はなく、バックルの部分でウェストを調整できる。 

これもかなり傷んでいて、布の形状は保っておらず、 太い糸の束を腰に巻きつけている状態。 一度バックルから外すと元の状態に戻せそうにない。 

マッチョに訊いたところ、着脱の際には完全に 外さないようにすることポイントだそうだ。 

「それが技術というものよ」

と 、なぜかほくそ笑んでいた。理由は不明だ。 

総合すると、完全に乞食の様相をかもし出している。 

一度見ると忘れられないインパクトがある。 

しかしそれぞれの服自体はよく洗ってあるので ボロはまとっているが不潔ではない。 

 

マッチョは元々実家から通っていたが、 

親がうるさいという理由で、お金持ちの友達の家の 離れに居候していた。 

家賃ゼロ。水道、ガス、電気代ゼロ。 

かなりいい物件を抑えていた。 

しかしロケーションが悪く、家から通うよりも 登校に時間がかかることが難点。  

加えて、風呂のガスが壊れており、 風呂場にお湯が出なかった。 

普通なら家主に相談して修理してしまうが、 

マッチョの思考回路は違う。 

銭湯通いを選択した。 

しかし銭湯は毎日入るとけっこうお金がかかる。 

だからマッチョは学校の近くのアスレチックジムの 会員になり、そこで風呂だけを利用していた。 

ボロを来た横山のヤッサンがジムに入り、 運動は全くせずに風呂だけ入って帰る図。 

かなり異様だ。けど違反ではない。 

学校に来たときだけ近くのジムで風呂に入れるので 休日の前の日は「明日の風呂どないしよ〜」とよく嘆いていた。 

ジムの会員費を風呂の修理代に回せばいいものを、 なぜかジム通いに執心する心理が分からない。 

だけど私は一切忠告しなかった。 

だってその方が面白いから。 

毎日夕方6時ごろに研究室を出ては、洗い立てのツヤツヤの 髪で7時くらいに戻ってくるのも面白かった。 

こういうわけの分からないこだわりを持った面白い人は 私の大好物なので、私はいつもツヤツヤの坊主頭をなでながら 

「今日も良い感じに洗い上げたね〜」

と ニコニコしていたものだ。 

 

マッチョは研究においても変なことをよくしでかした。 

彼が行っていた研究は蚕の休眠メカニズムの解明だった。 

蚕は絹糸を使って繭を作り、その中で成虫になるまで眠る。 

その際に、蚕の脳ではセロトニンという物質が分泌される。 

そのセロトニンの分泌をコントロールすることで 虫の休眠を誘導したり、阻害したりして、 害虫の駆除などに役立てようという研究だ。 

従って常に蚕を育てつづけなければならない。 

 

ある夜、マッチョが血相を変えて研究室に飛び込んできた。 

夜更けだったので、私を含めて数人しか残っていなかった。 

マッチョは口をパクパクさせながら 、大変だ大変だとわめき散らす。 

何が大変なのかさっぱり分からなかったが、 

マッチョがここまで取り乱したのを見たことがなかったので 私たちも動揺してしまい、 

何か知らんがこれゃ大変だと一緒にパニックになってしまった。 

放射性同位体、つまり放射能が漏れ出してしまったとか、 何千万円もする機械を壊したとかそういうことだと 勝手に勘違いした。 

何が大変か分からないが、とりあえず理由を訊いてみた。 

 

「俺の蚕が!」 

「蚕がどうしたの!?」 

「家出した!」 

 

はい? 

 

蚕が家出したとはどういうことか。 

研究用の蚕は卵を企業から買い、 桑の葉のブロックと一緒に保温機の中に入れて育てている。 

保温機は内側からは開かないし、蚕にそんな力はない。 

その蚕が家出したとはどういうことか。 

まずは現場を確認しようと思い、 

みんなでわらわらと保温機のあるところまで走って行った。 

そして現場に到着。 

私たちは絶句した。 

 

床一面が蚕の海と化していた。 

 

なんじゃこりゃあ!? 

 

全員がジーパン刑事状態。 

後で分かったことだが、マッチョは掃除したときに 保温機の除水口を閉め忘れてしまい、 

その穴から蚕が大脱走を始めたのであった。 

息切れしてその場に留まる蚕、 

元気よく走る蚕、  

友達に出会って立ち話をしている蚕、 

ここはいい感じだと繭を作り始める蚕。 

繭を作るか作らないかで薬剤の注射をする研究なので 蚕が勝手に繭を作ると実験を続けられない。 

 

「マッチョ、やばいよ!もう繭作ってる蚕がいるよ!」 

「あ!ヤバイ!研究がオシャカになってまう! 何て気の早い連中だ!」 

 

私とマッチョがそんな会話をしている間にも、 繭はどんどん作られて、脱走蚕は範囲を広げるばかり。 

しかも困ったことに、たまたま居合わせた連中は 全員虫が大嫌いという悪運。 

 

「マッチョ!私たちは虫が大嫌いなの! 

 自分でなんとかしてよ!」 

「すまん、それはできん!」 

「どうして!?」 

「俺、虫アレルギーやねん!泣」 

 

だめじゃん! 

 

誰だよ、この人に虫の研究なんてさせたのは! ミスマッチもいいところだ。 

アホか!とか、うっさい!とか言い争っている間にも 更に繭は大きくなり、脱走蚕は逃げまくる。 

蚕は普段はおとなしいが、本気で走ると意外に速い。 

ゴキブリ、とまでは言わないが、芋虫くらいの速度はある。 

そこで少し冷静になった人からの神の一声。 

 

「別に手づかみにしなくてもいいんだから 

 ホウキとちり取りで集めちゃえばいいんじゃない!?」 

 

グッドアイデア!  

 

ワラワラと集まった学生は、ホウキとちり取りを 集めるためにまたワラワラと走り去った。 

 

ブツを入手した面々は、あーだこーだと ギャーギャー騒ぎながら何とか蚕を集め、 保温機に戻すことに成功した。 

この夜のことは「蚕 大脱走事件」として 

後々まで語り継がれることになった。 

 

さて、研究の失敗はさておき 普段はあまり外出しないマッチョであるが、 いざ目標ができるとその行動力は凄い。 

 

研究室にいる最後の年、マッチョは突然 

「学園祭に出店するぜ!」

と言い出した。 

めんどくさいからヤダ!という大方の意見を退け、 出店の応募、研究室内への協力の呼びかけ、学園祭全体の準備、 買出し、店の場所とり、その他もろもろの雑用をほぼ一人でこなした。 

この実務手腕はなかなかの手際だったので、 最終的にはみんなかなりやる気になって 研究の合間に学園祭の準備に携わった。 

  

店の商品はホットケーキ。 

マッチョがマクドナルドの店員として働いていた経験を 活かせる内容だ。 

毎日のように店でホットケーキを焼いていたので彼は自信満々。 

 

ところが。 

 

いざ当日、開店していきなり店が滞った。 

いつまで経ってもホットケーキが焼けないのだ。 

なぜ? 

私は店長(マッチョ)に問いただしてみた。 

 

「マッチョ、ホットケーキ焼けないの?どうしたの?」 

「おうタムケン!おかしい。 

 バイト先で鍛えた俺の技術をもってしても焼けないとは!」 

「実際どんな技術なのかは全く知りませんが。 

 で、バイト先ではどうやって焼いてたんですか?」 

「191℃で、1分半や!完璧にこなしてたで!」 

なるほど。 

なぜマッチョは山ほどホットケーキを焼いていたのに 今は焼けないでいるのかが分かった。 

 

191℃、1分半でしか焼けないのだ。 

 

「そんな限定された条件だけで焼けるわけないでしょうが!」 

「うおお!?何を怒ってるねん!?」 

「今使ってるんは鉄板とコンロですよね?」 

「うん」 

「どうやって191℃にするの?」 

「・・・。」 

「1分半計ってるの?」 

「・・・。」 

「それじゃ焼けるわけないじゃん!」 

「しまった〜!そんな穴があったとは!」 

 

気づくの遅い! 

 

その後、料理が得意な後輩がマッチョの代わりにフライパンで焼き、 事なきを得た。 

マッチョは料理人から客の呼び込みにされてしまった。 

出店までの手腕は素晴らしかったが、 

肝心のホットケーキを焼けないという詰めの甘さ。 

その上、店長から呼び込みへと降格。 

 

しかしマッチョを呼び込みへと転向させたことは マイナス効果だったかもしれない。 

だって異様な雰囲気の客引きだったから。 

坊主。ヒゲ。デカ黒縁眼鏡。小男。高い声。そして純白スーツ。 

普段はボロを着ているのに、なぜ純白のスーツだけは 持っていたのかいまだに謎である。 

何なんでしょう、この人は。 

違和感ありすぎ。気合入りすぎ。でもサイコー。 

 

このようにして数々の伝説をこしらえたマッチョは 教授の恩赦で何とか大学院を卒業した。 

その後、会社に入ったマッチョの噂は、 部署が離れていることもあってあまり聞かないが、 また研究所の歴史に残る伝説を作りつづけていることだろう。 

 

 

 

オシマイ。