「かゆいトコないですか?」と聞かれたら「当ててください」と言いたい

この世のすべてを笑いにかえて生きるタムケンによるブログ。過去の記憶、日々の思い、外国人の妻や障害(ダウン症)を持つ子供たちとの日常について、笑いとユーモアたっぷりのエッセイを中心に書いています。

焼けないたこ焼き

1月17日。

それはは阪神淡路の震災の日だ。 

この近辺になると、私は決まってたこ焼きが食べたくなる。 

今日はその理由について書こう。 

 

関西の代表食の一つとしてたこ焼きは絶対に外せない代物だ。 

このたこ焼、普通は外で買って食べる。 

家で作ることは買うほど多くはない。 

学生時代の私も買うことが多かった。 と言うより調理器具を持っていなかった。 

 

理由の一つは大失敗したことがあるからだ。 実家を出て大学の寮に入ってからは、 

たこ焼きはたまに買って食べる程度。 

ある休日に買い物に行くと、たこ焼きの鉄板が 1000円で売っていたのでついつい 

食材と合わせて買ってしまった。 

たまには自分で作ってみようと思ったのだ。 

しかしテフロン加工の焦げ付かないフライパンや 鍋に慣れていた私は、素のままの鉄板の使い方を よく分かっていなかった。 

鉄板は油を塗って加熱して、よくなじませなければ 食材がすべて焦げ付いてしまう。 

それを知らない私はいつものように適当に油をひいて たこ焼きの元を流し込んだ。 

 

結果。 

 

全滅。 

 

串でくるくるひっくり返そうにも焦げ付いてどうにもならない。 そうこうしている内に焦げ付いて煙が出る始末。 

火力が強いのかと勘違いした私は、 1時間くらいかけて苦労して焦げたたこ焼きをはがして 再チャレンジ。 

 

しかし、またもや全滅。 

 

そう言えば最近の調理器具はテフロン加工していて 普通の鉄板は油をなじませないと使えないという話を 思い出して、火力ではなく根本的にダメだったのだと 思い至った。 

けどお腹は空いている。 

仕方ないのでスプーンですくって泣く泣く食べた。 

「こんなのたこ焼きじゃないっす」

と。 

 

私がたこ焼きを作らずに買って食べていた理由その2。 

学生寮の近くにお気に入りのたこ焼屋があったからだ。 

 

その店に名前はない。 

看板に「たこ焼」と書いてあるだけだ。 

店主はとある老人。店は狭く、古い。 

廃屋同然の寮に住んでいた私は平気だが 一見さんには辛いかもしれない。 

営業時間、定休日は不定期。 

店主の気まぐれで自由に休んでいるらしい。 

 

初めてそこを訪れたのは2000頃だったか。 

今でこそ、部下や後輩には良い物を食べろと言う私だが、 学生時代は近所の食いモン屋の探索に夢中だった。 

原チャリで神戸の幹線を走っては毎日違う店に入って食べ歩いていた。 

 

ある日。 

神戸市灘区のとある交差点付近にたこ焼屋を見つけた。 

なにはともあれ、とにかく入る。 

たこ焼き1個20円。安い。具はタコのみ。 

10個注文した。店主は黙って焼いた。 

食べた。 

うーん、なかなか美味い。派手すぎず地味すぎず。 

格別印象に残るような大層な味でもなかったので、 その日はすぐに帰った。 

 

その日から私は同じたこ焼屋へと足を運ぶようになった。 

2,3ヶ月に一度の割合で。 

味がとてつもなく気に入った、と言うほどでもない。そこそこの美味しさで、安くたこ焼が手に入ればそれなりの店で良かったのである。

 

店主と話したことはなかった。 

その日も店に入ると常連らしき先客がいた。話が弾んでいる。 

新顔の私が入る余地はない。 

また10個注文した。 

すぐに焼きあがった。 

黙々と食べる。 

常連が帰った。 

店内に残ったのは私と店主のみ。店に流れる何となく気まずい空気。 

先ほどの常連との会話で口車の暖まった店主は 意を決したのか、新顔の私に話かけてきた。 

通い始めて半年以上でようやくの初トーク。 

しかしその程度の頻度では店主も私の顔は覚えていまい。 

 

「兄ちゃん、学生さん?」 

「ええ。そうですよ」 

「ここの上にある大学かいな?」 

「はい」 

「やっぱりな〜。 

 ここいらの学生さんはみんなあそこに通っとる。 

 何の勉強しおるんや?」 

分子生物学です」 

「なんじゃそのわけの解らん学問は? 

 やっぱり兄ちゃん、ワシらとは頭の出来が違うわ〜。 

 ははは!」 

「そんなに変わらないですよ〜。 

 それに私は仲間内じゃオチコボレですから」 

 

ワシらの<ら>って誰? と思いつつも、 

つつがなく返答する。 

 

「まあ、頭ええ言うても色々あるわなぁ。 

 斜に構えとるヤツもおる。そういう連中はワシは好かん。 

 でも兄ちゃん全然そんなことあらへんわ。 

 ワシとちゃんと話しおるしのう」 

「はあ? 普通は話しかけられたら返すんじゃないですか?」 

「いや、斜に構えるヤツもおるねんて。 

 こっちがあいさつしおるのにマトモに返さんヤツもおる」 

「あ〜、結構いそうですねぇ」 

「ホンマやで。その分兄ちゃんは愛想ええわぁ」 

「あはは! おっちゃんがええ感じの人やからね」 

「そうそう(笑) どんどん話てもろてええんよ? 

 話しかけられたらワシは返すよってな」 

「じゃあ、そうします(笑)」 

 

店主は焼き続けている。 

狭い店内で食べる人より持ち帰る客が多いからだ。 

いつ客が来てもいいようにある程度は 

ストックしておく必要があるのだろう。 

 

「そや! 兄ちゃん!」 

「な、何ですか?」 

「この前、新聞記者が来おってな。 

 朝日新聞に載ったんよ、ウチの店!」 

「唐突にビックリするじゃないですか。 

 でもそれって凄いことですよねぇ」 

「ま〜そうかもな。記者さんエエ人やったで〜。 

 震災のこととかを取材して行きはったわ」 

「震災ね。神戸はひどかったですからね」 

「ひどいなんてもんやないで。 

 知り合いがどんどん死におった。この店もペシャンコよ」 

「そうなんですか!?よく助かりましたね」 

「おう。この店に住んでるわけやないからな。 

 でもワシが店もろとも押しつぶされたと勘違いした客もおった。店先に花置かれたりな」 

「まだ死んでないのに(笑)」 

「そう! まだ生きとるっちゅうねん!(笑) 

 でも心配してもろて嬉しかったわ。 

 実際助かってるわけやし。 

 長田区が大火事になったからあそこのイメージばっかり 強いけど、 

 実際この店がある灘の近辺が 

 一番ようけ人が亡くなりはったんよ。 

 だからみんなはワシが死んだと思ったみたいやわ」 

「そして再建して記者に取材を受けた、と」 

「そう!」 

 

店主は鉄板の火を緩めて棚をさぐり始めた。 

そして紙片の束をテーブルに置いた。 

 

「これが記者さんの名刺や」 

「あ、ホンマですねえ」 

「他にもお客さんがくれた名刺を全部とってあるんよ。 

 ワシの自慢や」 

「うんうん。いっぱいある。 

 え〜と、他にはどんな人が来てるのかな」 

 

名刺を一枚一枚めくる。 

衝撃の一枚を発見。 

 

山口組○×○× 

 

はう!? 

 

これは凄い名詞を発見してしまった。 

さすが神戸。 

一抹のたこ焼屋と言えどもヤックンが来るとは。 

そしてヤックンに名刺があったとは。 

滅多に拝めない代物だ。 

う〜ん。 

やっぱりヤックンと言えども関西人なわけだからたこ焼買いに来るんだな〜。 

私は一人で妙に納得してしまった。 

 

ヤックン名刺は何枚もあった。 

毛筆書体で書かれている。物凄い迫力だ。 

それにしても漢字がやたらと多い。 

山口組ってこんなにいろんな部署に分かれているのか。 

正式名称で自分の所属を表記すれば軽く20字はあるようだ。 

 

「こいつなんかはなぁ」 

 

と、店主はある一人の名刺を指差して言う。 

 

「子供の頃からワシがたこ焼食わしてやっとった。 

 今でもよく来おるで。 

 事務所から電話しるんよ。 

 今から行くから焼いとって〜ってな(笑) 

 だからこいつはワシにゃあ頭上がらんのよ」 

 

感嘆。そして沈黙する私。何と言えようか。 

事務所ってやっぱりあの事務所のことだろうな。 

「おいこら兄ちゃん、今から事務所に来てもらおうか!?おう!?」と 

テレビとかで脅しをかけるあの事務所。 

しかしヤックンの事務所って何をしているのだろうか。 

シノギの売り上げや利益、コスト計算などを 

パソコンを使って処理しているのだろうか。 

すると強面の人がエクセルやワードと向き合っているわけか。 

光熱費や水道代を振り込んだり、請求書を印刷したり。 

社内システムとかも独自のものを使ってそうだ。 

仮にSEだったとしても、ヤックンの事務所には絶対派遣されたくないな。 

 

なおも店主は続ける。 

 

「この辺りで騒ぎを起こすヤツなんかおらんで。 

 地域のつながり強いしなぁ。 

 何かあったらすぐにみんな集まって来おるわ。 

 知り合いにはヤックンもおるよってな(笑) はははは!」 

「はは・・・」 

 

私の顔は引きつる。 

 

「そうビビりなさんなって!(笑)  

 別にワシが怖いわけやないがな!」 

「いや、十分怖いですけど」 

「ちょっと待ちいな兄ちゃん。 

 案外そういう連中の方が分別が分かっとるで? 

 ワシの店の前に車止めたヤツがおったんよ。 

 別の店に行くのにな」 

「別のって言うと、隣のコンビニとかに?」 

「そう、多分そこのコンビニにや。 

 したらこっちは商売上がったりや。 

 ウチに来る客が車止められへんわ。 

 せやからどけてもらいたいわけよ」 

「そりゃあ、そうですよね。おっちゃんが正しい」 

「やろ? で、運転手に言うたわいな。 

 車どけてくれって。いきなり怒ったりはせんよ? 

 普通に言うただけや。 

 でもよ〜っく見たらヤックンやったんよ。実は」 

「ええ!?そりゃ大変ことになったんじゃないですか!?」 

「んなことあるかい。こっちは商売や。 

 どいてもらわな商売ができん」 

「で、どいてくれって言ったわけですよね? 

 相手はヤックンなのに?」 

「おう。したら向こうも商売やっとる身やわな。 

 事情もわかっとるわな。 

 あっさりどけてくれおった」 

「おお・・・」 

 

意外な結末だ。 

 

「それだけやない。気づかなんですまんかった、言うてな。 

 帰りがけにたこ焼買って行かはった。 

 な? 案外そういう連中の方が話が分かるんやって」 

 

事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ。 

世間では恐れられている存在ではあるが、 

やはり彼らも商売人。 

不当に他人の商売を害することはないというわけか。 

 

店主の話は尽きることを知らない。 

長年の経験談は何度も語っているせいか無駄がない。 

次々と沸いてくる話をどれほど聞いたことか。 

 

「同じ所にずっといると周りの変化がよく解るわ。 

 アベックで来とった二人が結婚して子供連れて来たりな。 

 反対に別れてもうたり(笑) 

 ガキがいつの間には大きくなっとったり」 

 

そう言えば・・・、と店主が切り出す。また昔話が始まる。 

さて、次はどんな話か。 

 

「高校の野球部のキャプテンやったヤツがおってな。 

 おもろい子やった」 

「育ち盛りですね」 

 

「そう。よう食いおった。 

 よくワシのたこ焼食いに来おったわ。 

 練習の帰りがけにな」 

「そりゃあお腹が減ってる時にここの前を通れば 

 誰でも食べたくなりますよ。私みたいに(笑)」 

「ははは! そうやな!(笑)  

 その子なぁ、あるとき練習試合の帰りに 

 友達ぎょうさん連れて来おったことがあるんよ。 

 んでワシ、たこ焼焼いとったんやわ。 

 したらそいつら店の前で賭け事始めおった」 

「賭け事?」 

「何や知らんけど賭け事や。小さい賭けやったけどな。 

 せやけど賭け事は賭け事や。 

 ワシは怒ったんよ。 

 学生のクセして賭け事なんかすな〜! 

 お前キャプテンやろ! 

 キャプテンやったら部員を止めんかい! 

 帰れ! お前なんかに食わせるたこ焼はないわ! 

 ってな」 

「厳しいなぁ」 

「厳しいけど間違っとらんよ。奴らが使うてるのは親の金や。 

 親からもろた小遣いを賭けとるねん。それはいかん」 

「いけませんよね」 

「やろ? 

 せやけどその子、次の日になったらケロっとして来おった。 

 おっちゃん、たこ焼ちょうだい〜、言うて(笑)」 

「あはは! 悪ガキだったんやろうなぁ。 

 次の日にもう来たんですか」 

「おもろいヤツやったわ〜」 

「今はもう社会人でしょ、その人。 

 今はどうしてるんでしょうね。」 

「死んでもうた。そのすぐ後に震災でな・・・」 

 

あっけなかった。 

 

あまりにあっけない終わり方だった。 

 

最後におっちゃんは言った。 

 

「もうたこ焼を焼いてやれんようになってもうたなぁ・・・」 

 

たこ焼は私の好物である。

だが学生時代には外で食べることが多かった。 

それは調理器具を持っていないためだけではなかった。 

お気に入りのたこ焼屋があったのだ。 

<たこ焼>と言う名のたこ焼屋が。 

 

私は学生時代は2,3ヶ月に一度通っていたものの 最後までオッチャンは私の顔を覚えてくれなかった。 

同じ話を初顔に対してのように話すオッチャンに 

私は実は何度も来て聴いているんですよ、と言う。 

するとオッチャンは禿げ上がった頭を つるりとなでながら、年寄りに顔を覚えてもらうためには2週間くらい毎日来てくれないといかん、だからもっと来いと言う。 

けど私は別に毎日たこ焼きは食べたくないので相変わらず2,3ヶ月に一度しか顔を出さなかった。 

そしてまた初顔として同じ話を聴いた。 

 

たこ焼きを食べるたびに私は震災のことを思い出す。 

若くして死んでしまった、顔も知らない野球部のキャプテンのことを思い出す。 

そして震災という言葉を聞くたびにたこ焼きを食べたくなる。 

 

震災から、建物や道路はとうに復興している。 

しかし人の心に残った傷跡はどうしても消えない。 

阪神で震災を経験していない人は、何をいつまで震災の鎮魂だと言う。 

しかし、問題は建物の復興ではなく人の心についてなのだ。 

それは何も震災に限ったことではない。 

親兄弟を失うこと。恋人を失うこと。友人を失うこと。 

何かを喪失するということは、一生消えない傷を背負うことに他ならない。 

しかし生きている間に何一つ、誰一人失わずに済むことはまずあり得ないだろう。 

だから震災に限らず生きている人は誰しも少なからず喪失感を抱えているのだ。 

 

残された私たちにできることは、彼らのことを忘れずに年に一度でも心に呼び起こし暖めてあげることだと思う。