緊急事態宣言の何がいやだって、20時にあらゆる飲食店が閉まるという事。
仕事帰りのサラリーマンがちょっと食べて帰るのに、20時閉店は早すぎる。
この日は嫁さんのタルギが仕事の疲れで夕飯をギブアップ。
さて、どこで食べて帰ろう?と少し期待したのもつかの間。
は!?お店閉まっちゃう!
急いで仕事を片付けて、近所のラーメン屋に滑り込んだ。
店には私だけ。15席ほどのカウンター、6席のテーブル席。わりと大きなチェーン店だが、緊急事態宣言の飲食店イジメのあおりを受けて客は激減していた。
一番端の席に座り、豚骨ラーメンを注文。ラストオーダーの時間ぎりぎり。
待ってる間、スマホでヤフーニュースを見る私。
のんびり。こんな時間大好き。
ラーメンを待っていると、さらにギリギリのタイミングでまた一人来店してきた。
からりとドアが開いて、するりと音もなく入ってきたのは、こざっぱりした身なりのマダム。70歳くらいのシルバーショートヘアに、淡い花柄のブラウス。少し大きめのイヤリング。ラーメン屋は全然似合わない感じ。
「お店、まだよろしいかしら?」
歳は取っているが、高い透き通った声。
う~ん、お上品。涼やか。こんなふうに歳を取りたい。そう思える所作。
お好きな席にどうぞ、と店員に促されて、マダムはカウンターに座った。
私の隣だった。
いや、異様に近くないか!?
何十席もあいてるのに、なんで私の横!?
どういうことか知らないが、私の隣のカウンターにお座りになったマダム。
衝撃。マダムの所作、衝撃。
いや、いいんだけどね、席はあいてたからね。お好きな席にって言われてたしね。私の隣でもいいよね。でも、何かおかしいよね、空いてるお店でギッチギチに座るのって。かと言って私が今から席を移るのも、いかにも避けてるみたいで失礼な感じだし動けない。
このマダムちょっと変わった人かも。
それと何か、ラーメン屋は慣れてない感じがする。少なくともこの店には初めて来た様子。このマダムが何を注文するのか凄く気になる。
ふわりと席に座るや否や、一礼して厨房に戻る途中の店員を呼んだ。
マダムはまだメニューすら見ていない。
「ちょっと、お姉さん、よろしいかしら?」
あくまで涼やか。高く透き通った声。
メニューも見ずに注文するのか。さすがマダム。お金持ちはメニューを見ずに好きな料理を頼むと言うが、その類のバブリーな注文の仕方を目の当たりにできるのかもしれない。
私は相変わらずスマホでニュースを見ているフリをしていたが、すでに全く内容は入って来ない。今はこのマダムが何を注文するのか、隣の席の様子に全神経を傾けている。芦屋や白金に住んでそうな上品なマダムが豚骨ラーメンを注文してすする姿は見ごたえがありそうだ。二十歳そこそこのバイト風のお姉さん店員が戻り、マダムに伺いをたてる。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「ええ、お野菜をちょうだい」
え?野菜?
今、野菜って言ったの?
「あの、や、野菜ですか?」
「ええ、お野菜を頂きたいわ」
すげえ注文するな、このマダムは!
これは予想外だ。ラーメン屋に入ってメニューも見ずに野菜だけを注文する人がいるとは。
狼狽する店員。
いや、そりゃそうなるよ。
私が店員でも衝撃で何も返答できんわ。
若い店員はかろうじて返事をひねり出した。
「えと、申し訳ございません。当店にはタンメンなどはございませんので」
なるほど。ラーメン屋で野菜たっぷりのメニューと言えばタンメンと言っていい。驚きながらもなかなか柔軟な返事をする店員さんだ。好感。
しかしマダムは納得しない。
「タンメンじゃないの。お野菜だけを頂きたいの」
「野菜だけ、ですか・・・」
考え込む店員。
「しいて言うなら、ラーメンのトッピングのネギなら、ございますが」
いや、確かにネギは野菜だが薬味だ。ネギだけを注文して夕飯で食べることはないだろう。
「それはどんなネギなのかしら?」
マダム食いついた!?
ネギの種類をわざわざ聞くってことは、よもやネギの種類によってはネギだけ食べるのはありってことか?どれだけ野菜を食べたいのだろうか。
「ネギの種類は青ネギでございます」
真面目に答える店員。
好感。この店員さん、好感度高い。
「そう、じゃあダメね・・・」
そうか、ダメなんだ。青ネギはダメなんだ。どのネギなら良かったのか、そっちはそっちで気になる。
「じゃあ、なるべくお野菜の多いヤツはどれなの?」
どこまでも野菜にこだわるマダム。
あれか、しばらく大海原を航海しててビタミンが不足してるのかもしれない。辛坊治郎もヨットで太平洋横断したしな。そう言うブルジョワがいる世の中。そうだ、そういうことにしよう。しかし野菜の野菜の多い"ヤツ"って・・・。
「野菜の多いメニューですね。こちらのお料理はいかがでしょうか」
メニューを取り出して紹介する店員。私のいる席の反対側でやり取りしているので、メニューのどこを指差しているのか私からは見えない。
「ふ〜ん、じゃあこちらを頂くわ」
「一皿でよろしいですか?」
「ええ、一皿で」
決まった。メニューが。何だろう。
マダムは何を註文したのか。
気になる。
待っている間のマダムは足を組んで座ったまま、テーブル席の一点を凝視したまま一切動かない。スマホを見るわけでもなく、景色や店内を見るわけでもなく、全く動かない。独特。待つ時間も独特。背中の電池が切れたのだろうか。
10分ほど経った。
店員が注文の一皿を持ってきた。
「お待たせしました。ご注文の餃子です」
そうきたか!
確かに餃子は豚骨ラーメンよりは野菜が多い。
しかしラーメン屋で餃子だけ注文するとは。さすがマダム。肝が座っている。私なら無理。そんな度胸は無い。
マダムはモリモリと餃子を食べ、席を立って店を出ていった。
私は何やかんや聞き耳を立てている内に、いつの間にか自分のラーメンを食べ終えてしまっていた。マダムの様子が気になっていたせいで、どんな味だったか全く覚えていない。
次にマダムに会えば教えてあげよう。そんなに野菜を食べたいなら、ラーメン二郎か、神座(かむくら)に行ったほうがいいよと。