「かゆいトコないですか?」と聞かれたら「当ててください」と言いたい

この世のすべてを笑いにかえて生きるタムケンによるブログ。過去の記憶、日々の思い、外国人の妻や障害(ダウン症)を持つ子供たちとの日常について、笑いとユーモアたっぷりのエッセイを中心に書いています。

星の誕生。喜びと絶望と幸せ  

12月21日。

この日は第三子の誕生予定日。

嫁さん(タルギ)は長男(コナン)を
帝王切開で出産したため
次男(チューペット)も帝王切開だった。
なんでも女性は一度帝王切開で出産すると、
以降の出産では子宮が膨張と収縮に
耐えられないおそれがあるので
基本的には帝王切開で産むことになるそうだ。
そのため第三子の出産も帝王切開
決まっており、まず日程がずれることもない。
お腹をいためるタルギには申し訳ないが、
待っている夫としては極めて対応しやすい。
あらかじめ会社から休みをもらい、仕事を調整。
早い時期に性別もわかっていたので
名前もばっちり決めていた。

立星 (りゅうせい)

何か大きなイメージの名前にしたくて、
星という字を使った。
でも流星だと落ちてしまうので、
立ち上る星になってほしいと言う
願いを込めて立星と名付けた。

生まれる前から家族の中では
立星の話で持ちきり。
三兄弟になるため、兄ふたりは子分が
増えると大興奮。
早くも立星は子分として有力視されていた。

待ちに待った12月21日。

私は会社を、コナンは小学校を、
チューペットは幼稚園を休んで河内長野の病院に行った。
3人目の孫の誕生に立ち会いたいと、私の両親もやってきた。
前日から入院し、少し緊張した面持ちのタルギを
手術室に見送ること2時間。
3人目のわが子が誕生した。

体重2820g 
体長49センチ。
担当医から母子ともに健康だと聞いたときには
心底ほっとした。

ストレッチャーで運ばれてきたタルギは、
麻酔のせいでぼんやりした表情を浮かべていた。
部分麻酔なので意識はある。

ほどなく、生まれたばかりの立星も
運ばれて来た。
すやすやと眠っていた。
まるまる太った体。少し切れ長のツリ目。
生きているのか心配になるくらい小さい体。

「タルギ、お疲れ様。また家族が増えたね。
ありがとう!」
「うん。なんか疲れた」
「今はゆっくり休んでな」
「ねえ、タムケン。
この子、どっちに似てるかな?」
「う~ん、まだ目も開いてないから
何とも言えんけど。
 切れ長の目だから韓国系? タルギ似かな?」
「そうか・・・。そうだよね。
私に似てるかもね」

みんなで新しい家族と写真を撮り、喜びに喜んだ。
そして出産後のタルギをねぎらい、家に帰った。

おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に寝られることに興奮して
なかなか寝ようとしない子供たちを
寝室に押し込み、
翌日の仕事の準備をして寝ようとしたそのとき、
タルギからメールが入った。

「遅くにごめんね、タムケン。
伝えたいことがあるの」
「どうしたの?」

「あの子の顔、ダウン症じゃないかな」

頭が真っ白になった。

ダウン症
あの先天性の染色体疾患の?
つまり、障害があるって、こと?

覚悟はしていた。私とタルギは38歳。
高齢出産にあたる。
そのリスクとして、ダウン症などの
先天性の疾患も想定していた。
しかしあくまで可能性のひとつとしか
考えていなかった。
覚悟をしていることと、
目の当たりにして平気でいられることは
別である。

「どうしてそう思うの?」
「あの子の顔、切れ長の目で韓国系じゃないかって
 言ってたけど、違うと思う。
 私の韓国の親戚の顔を思い返しても、
 あんな顔立ちの人はいないもの。
 誰にも似てない。
 気のせいかもしれないけど、
他にもいろいろと違和感があるの。
 認めたくないけど、あの子、
きっとダウン症だと思う」

医者からは何も言ってこない。
ただ、元気な子であるとだけしか聞いていない。
だから違う。きっと違う。大丈夫だ。
立星はダウン症なんかじゃない。
きっと普通に育って、普通にハイハイして、
幼稚園や学校に入って、パパとサッカーしたり、
ポケモンを好きになったり、少し喧嘩したり、
何でもない幸せな時間が訪れるはずだ。

私としては単に切れ長の目や顔立ちなだけで、
ダウン症であるはずがないと再び伝え、
その日は眠った。いや、眠ろうとした。

が、まったく眠れなかった。
頭の中をとてつもない密度の不安が渦巻いて。

もし立星がダウン症だとしたらどうする?
あの子はどのくらい生きられるのだろうか。
その先の私たちの人生はどうなるのだろうか。
子育てと言うより、家族全員で介護に近い生活を
強いられるのだろうか。
差別されたり、コナンやチューペットまでもが
イジめられたりするのだろうか。

身近に障害者がいなかったせいか、
その生活のイメージがわからず
ネガティブなことしか出てこない。

今年の夏ごろ。

立星は高齢出産にあたるので、
産婦人科医からは出生前検査ができると
説明を受けていた。
検査をするかどうか、まずは事前に
カウンセリングが必要で、
タルギと一緒に私もカウンセリングを受けた。

そこで聞いた話によるとダウン症などの
染色体疾患の一部は、
確かに出生前の胎児や羊水を検査することで
事前に判定できる。
費用と時間がかかるが、
事前にその子の染色体に
異常があるかどうかを
ある程度の確率で見つけることができる。
ただし子供の障害や疾患を何でも都合よく
診断できるわけではなく、
その他の遺伝子疾患や内臓疾患など、
ほとんどの病気は見つけることができない。
体細胞をとればすぐにわかる、
ダウン症や染色体疾患の
ごく一部を見つけられるにすぎない。

そして重要なのは
その判定を受けることよりも、
判定を受けた後にどうするかである。

子供が陽性ならどうするか。
子供が障害を持って生まれる可能性があるとなった場合、
その子を「選別」するか。

つまりその子を「殺す」かどうかを決めなければならない。
その結果、少なくない親たちが、子供をあきらめる。
つまり「殺す」選択をするのである。

私たちも迷った。
もし陽性だったらどうするべきだろうと。
できれば障害児の親にはなりたくない。
障害を持って生まれてくる可能性が高いとわかっていて、
わざわざその苦労を味わいたくはない。
しかしどのみち見つけられる疾患はごく一部である。
しかも検査によって胎児や母体が傷つき、
せっかく健康な状態を保っていたのに、
検査のせいで子供が死ぬリスクもある。

コナンとチューペットの顔を思い浮かべた。

もしコナンとチューペットが今から障害を負ったら、
私はどうするだろう。
病気で、事故で、愛しいわが子に障害が出たら。
命の危険があったら。
今後が大変だし、面倒だからと殺してしまうだろうか。

ありえない。絶対に。

じゃあ生まれる前だったら。
生まれる前に、コナンやチューペット
障害を持ってしまったら。
面倒だからお前なんか生まれてくるな、
死んでしまえと言うだろうか。
殺してしまうだろうか。

ありえない。助ける。

だけど仮にコナンやチューペットがおらず、
高齢出産が初めてだったらどうしただろう。
検査を受けて、陽性だったら
「選別」していたかどうかは分からない。
そんな覚悟は持てなかったかもしれない。

だが私たちには、私たちには2人の子供がいた。
コナンとチューペットがいた。
この2人に障害があろうがなかろうが、
絶対に生きて欲しいし、助けたい。
そしてまだ生まれる前の立星も、
私たちの子供だから生まれてきて欲しい。
生きて欲しい。
だからもうタルギのお腹の中にいる立星を
「選別」することはありえない。

「ボクは生まれてこないほうがいいの?

 ボクは健康じゃなければ生まれちゃダメなの?」

そう立星からきかれた気がした。
だから決めた。

いいよ! 心配しないで生まれてこい! 
パパとママが面倒みてやる!

そうして私たち夫婦は、検査を受けないことにした。
受けても意味がないから。
陽性でも育てる決心をしたから。

それでも、タルギの言葉はショックだった。
これほどとは。
障害者の親になる重さがこれほどとは。
想像を圧倒的に超えていた。
息ができないほどに。

いや、まだ分からない。
医者だって何も言っていない。
タルギがそう感じているだけだ。

しかし。

鋭いのである。
普段からタルギの感覚は、その感性は極めて鋭いのだ。
立星の9ヶ月をその体の内に感じた、
母としてのタルギの感覚は無視できない。
違和感。タルギの違和感。
立星の顔立ちをしきりに気にしていたのは
そういうことだったのか。
もしかしたら。
本当に、私は、ダウン症の子の、障害者の子の、
親になるのかもしれない。

今さらながら、その事実に打ちのめされた。
覚悟していたつもりだった。
しかし、できていなかった。
まったく覚悟できていなかった。
想定することと、覚悟することは別だった。

立星が生まれた日。
祝福と喜びにあふれていたはずのその日。
ダウン症の可能性があるという、大きい闇がのしかかり、
私は眠れなかった。

12月22日。

会社に出社すると、皆が祝福してくれた。
笑顔で答え、お礼を言い、1日休んだ後の仕事を再開。
幸い不在中に大きなトラブルもなかったのでスムーズに進んだ。
うん。今日は早く帰れそうだ。
何とか面会時間前に滑り込んで、
入院しているタルギと立星に会いに行こう。
もう一度、タルギや立星の顔を見れば安心できる。
担当医に不安を伝えよう。
ちょっと目が切れ長ですけど、
まさかダウン症ですかねと。
するときっと、気にしすぎですよと
医者は笑い飛ばしてくれる。

ダウン症の子は体が弱く、何らかの疾患を持っていたり
合併症を発症することが多いと聞いた。
立星は元気だと担当医も話していたんだから、
きっと何も問題ない。
そうだ。そうに違いない。

必死に自分に言い聞かせていたお昼前。
病室のタルギからメールが届いた。

「タムケン、立星、息してないって。

 呼吸が止まったって!」

奈落。

それは私を奈落に突き落とす内容だった。

呼吸が、止まった? 
それは、立星が、もう、死んでしまった、
と言うことなのか?

「止まった!? どういうこと!? 
昨日はあんなに元気だったのに!」
「生まれた直後は元気だったけど、
 昨日の夜に容体が悪化してて、
呼吸が止まって、
 お医者さんが蘇生したけど、
また止まったって! 
 今はまた蘇生したけど、
どうなるか分からないって。
 どうしよう!?」

どうすればいいかはこっちが聞きたい。
二度の呼吸停止。
新生児だとよく起こるのか?
帝王切開だからか?
分からない。
いずれにしても呼吸停止が普通であるはずがない。

すでにパニック状態だったが、
その場で処理する業務をただちに処理し、
部下たちを呼んで事情を話し、すぐに病院に向かった。
休み明けで出社したばかりなのに、また午後半休。
周囲に迷惑をかけ通しだが、構っていられなかった。

やはりダウン症なのか。
心臓や肺が弱いということか。

普段乗っている電車を乗り間違えそうになりながら、
今にも崩れ落ちそうな足腰で、病院に向かった。
病院に着くと、私の両親と、子供たちも
ちょうど着いたところだった。
お腹にメスを入れて一日も経っていないタルギが
立ち上がって廊下で待っていた。
私を見るやいなや、タルギは泣き出した。

「やっぱり立星はダウン症かもしれないって。
 だから心臓や肺が弱いかもって。
 お医者さんもそう言ってる。
 もう、ダメかもって・・・」

ダメって何?

死ぬってこと?

立星が死ぬってこと?

生まれて一日で??

体の中で、何かが急速に冷えて固まっていく感じがした。
砂に水が染み込んで固まるように。
水が冷やされて氷になるように。
何かが私の体に大量に注がれて、
一気に固まって確かなものとなっていく気がした。

タルギが取り乱すほど、
私の両親が悲しむほど、
子供たちが場違いに無邪気に遊ぶほど、
パニックを通り越して、劇的に冷静になっていった。

立星が死のうとしている。
泣いている場合ではない。
悲しんでいる場合ではない。
取り乱している場合ではない。

今、私に何ができる?

立星を助けるためにはどうすればいい?

私だけだ。今動けるのは。

何かしなければならない。
今! すぐに! ここで!

私には医療に関する見識も技術も皆無だ。
何もできないし検討もつかない。
しかしどうすればいいか分かる人間は病院に山ほどいる。
彼ら医療スタッフから正確な情報を聞いて、
親として、責任をとる者として、
冷静かつ最速で決裁することが
今の私にできる最善のことだ。
迷っている暇はない。考えている暇もない。
考えることはプロの医療スタッフに任せて、
その全責任を私が負う決意を見せればいい。
それが今の私にできること。

すぐに医者と話した。
立星の現状を。
なぜ死にかかっているのか。
どうすればいいのか。

担当医は言った。

身体的特徴や症状から見て、立星にはダウン症の懸念がある。
今は肺と心臓の血流のバランスが非常に悪くなっており、
肺の血圧が異常に高まる肺高血圧になっている。
それはダウン症の新生児に起こりやすい循環器の不全で、
放っておくと酸欠で死んでしまう。
出生前はヘソの緒から酸素をもらって健康だった立星だが、
出生してしばらくしても体内の血流が呼吸に適応できず、
酸欠になり、負荷に耐えられずに呼吸が止まってしまったらしい。
今は酸素吸入で血中酸素濃度を維持しているが
またいつ危篤になるか分からない。
ただちに24時間体制で新生児を
治療できる病院への転送が必要。

深刻な事態だ。
立星は本当に死ぬかもしれない。
いや、事実すでに2回も死にかかっている。

こんなに悲しいことがあるだろうか。

立星は・・・

青い空を見たことがない。

お星さまやお月さまや太陽を見たことがない。

海を見たことがない。

緑の葉っぱを見たことがない。

花の香りをかいだことがない。

風を感じたことがない。

虫に触れたことがない。

甘いチョコレート食べたことがない。

酸っぱいオレンジジュースを飲んだことがない。

サッカーをしたことがない。

音楽を聴いたことがない。

友だちもいない。

ママやパパに抱っこされたことがない。

愛していると言われたことがない。

キスをしてもらったこともない。

一度もない。

そう、ただの一度も!!!!

ダメだ。
そんなのダメに決まってる。
一滴の水を口にすることすらなく、
パパやママに抱きしめられることもないまま
生まれて1日で死なせてたまるものか。
そんなの絶対ゆるさん!!

助けてほしい。
ダウン症でもいい。
障害があってもいい。
とにかく助けてほしい。
だって悲しすぎる。
やっと生まれてきたのに。
何も悪いことしてないのに。
いっぱいいっぱい、この世の楽しいことを
味あわせてやりたいのに。
美しいものを見せてやりたいのに。

だから助けないと!

そのためにできること。
私ができること。
それは医療スタッフが安心して、素早く動けるように
親として責任をとると保証すること。

生まれたばかりの立星には戸籍がない。
身分証も保険証も名前もない。
そもそも入院していないので、
そのままでは転院もできない。
法律の壁。書類の壁。

仮で入院手続きをとり、転院手続きをとった。
危篤状態の新生児を搬送できる特殊な救急車で
近畿大学付属病院へ立星を送ってもらった。
輸送中に容態が悪化して
死亡する可能性もあるとのことだが、
今の病院では次に危篤になると死んでしまう。
途中で何が起こっても構わないとサインし、
運んでもらった。

転院した先の病院では、
幸い新生児集中治療室(NICU)に
入れてもらうことができた。
機械とチューブとモニターだらけの物々しい部屋。
最新のテクノロジーが集まった命の戦場。
子供のそばにいたほうがいいだろうと、
本来は必要のない産後のタルギも転院させてもらった。

数時間に及ぶ新生児検査。
疲れ切っていたが、体の芯は妙にしっかりしていて、頭もはっきりしていた。
何時になろうと、朝までかかろうと、
検査結果を聞くまでは帰れない。
帰ったところでどうせ寝られない。

夜。

検査を終えた小児科と心臓外科の医者と話すことができた。
やはり立星はダウン症らしかった。
最終確定には一か月ほどかかるが、
医者の経験上はその可能性が高いと。
そんなことはいい。
それよりも助かるのかが重要だ。
助かったあとは、それから考えればいい。

医者は言った。
命の危険は、いまのところは問題なさそうだ。
心臓と肺は構造的にすべて問題がなかった。
だから呼吸をすることへの適応が、ほかの子よりも
遅いだけだと思う。
酸素吸入を続けて、血中濃度が維持できれば、
徐々に循環器も適応するはずだと。

そうか。
助かるんだ。
とりあえず、それで、いい。
サッカーや野球はできないみたいだけど、
星や海を見せてやれるなら、それでいい。

泣いたり泣き止んだりを繰り返すタルギをなだめ、
両親に報告し、ふらつきながら帰った。
とりあえず危篤から脱したことを思い出し、
家について1人になると急に力が抜けた。
少しだけ泣いた。
そして泥のように眠った。
とてもとても、よく眠れた。

立星は、今も近大病院のNICUで24時間体制で
看護してもらっている。
他にも7名ほど24時間看護が必要な新生児がおり、
人工呼吸器が必要な重体な子もいる中、
立星はとりあえず酸素吸入だけで済んでいる。
点滴は外せないが経口でもミルクを飲み始め、
ここ2日で少し元気になってきた。

タルギは相変わらず泣いてばかりいるけど、
タルギが泣くほど私の気は引き締まるので、
夫婦はやっぱりバランスよくできているなぁ、
と勝手に思っている。

立星がダウン症児だった場合、私たち家族は
かなり大変な思いをすることになるだろう。
どう大変なのかは今は想像もつかないけれど、
きっと多く家族が「普通に」できることができなかったり、
やらなくてもいいことをやらなきゃいけなくなる。

後悔していない、と言えば嘘になる。
今後も辛いことがあるたびに、
あのとき「選別」していれば、
別の楽な人生があったのかもしれないと、
何度も後悔すると思う。

でも私はこの人生を選んだ。
殺さないことを、「選別」しないことを選んだ。
例え立星に障害があっても、元気に生まれてほしい、
生きてほしいと願った。
その気持ちに嘘はない。

これから、私と、立星と、私たち家族は、
国や、市や、周りの人たちに、
「普通の」人たちよりも多くを頼らなければならない。
支援を受けなければならない。
そうしないと生きていけないだろう。

願わくば応援してもらいたい。
新しく生まれた星とその家族を。

~追伸~

立星誕生を祝福してくれた人たち
心配してくれた人たち
お見舞いに来てくれた人たち
応援メッセージをくれた人たち
すべての人たちに感謝の意を込めて 

 

タムケンより

 

#ダウン症 #障害を持った子供 #毎日幸せだから大丈夫