立星(りゅうせい)が生まれて三年経った5月某日。
三男 立星の掛かりつけ医師より私とタルギ(嫁さん)に告知ありけり。
医者「残念ですが立星くんは開腹手術が必要です」
タムケン&タルギ「ズッコーーん!!」
いきなりのようでいきなりではない話ではあった。
立星は生まれてこの方3回も入院していた。ちょっとしたことで熱が出て、なかなか下がらず、肺や肝臓や腎臓の何とかと言う数値が上ったり下がったり。一歳半の彼は、のべ半年に一度は入退院していることになる。それがダウン症のせいかは分からないが、先天的に問題があるのは想像に難くない。
そんなこんなで3度目の入院が終わってから、かかりつけの担当医から冒頭の話があったわけである。
何でも立星は膀胱と腎臓をつなぐ尿管に、普通は付いているはずの尿の逆止弁が先天的にないそうだ。膀胱まで雑菌が上がってきても、通常は逆止弁より先の腎臓までは構造的に進めない。しかしこの逆止弁を持たない立星の場合、容易く腎臓までは雑菌が上がってきてしまうので、抗生物質を常飲していないと簡単に感染症を引き起こす状態にあった。
腎臓が感染症を引き起こすと腎臓炎になるわけだが、腎臓炎を起こすと何が悪いのか。腎臓炎は痛みが酷いだけではなく、血液に外部からの雑菌が侵入してしまうのである。それが恐ろしい。
血液から尿を濾し取る腎臓は、構造的に血管から外部の物質が入りやすくなっている。当然、菌も入りやすい。そうならないように逆止弁が付いているのに、立星は先天的に持っていない。そのため、立星の体は膀胱から腎臓、そして血液からも大腸菌が検出されていた。
血液から大腸菌が検出。
この事実には驚愕した。
胃腸や化膿している皮膚からの検出では無い。血液から、である。
抗生物質で都度、鎮静させてはいたが、放置しておけば何度死んでいたか分からないだろう。
抗生物質を飲み続ければ菌は増えない。命には関わらない。また、成長するに従って尿の逆流が治まることもあるらしい。しかしそれは一生抗生物質を飲み続けることを意味するし、薬が効かなくなればおしまいである。根治する方法は、逆止弁を手術で形成すること。
「それでは手術されますか?」
「よろしくお願いします!」
っていうか選択肢無いんですけど!
と思いながらも、そこは致し方無し。
6月に手術を決めた。
それから検査だの何だのかんだのを受け、風邪引いたら手術できないので家に軟禁状態でつまらないから愚図る立星をあやしつつ、出かける機会が減ってつまらないとボヤく長男 コナンと、次男 チューペットをあやしつつ、ワールドカップで日本は頑張ってるけど韓国は散々な結果だったので怒り心頭な韓国人嫁タルギに、グループが激戦すぎたよね?クジ運って時に残酷よね?とあやしつつ、ワールドカップだのWカップだのGカップだの何てグラビアなんだと自分をあやしつつ、気づいたら手術当日で、麻酔をかけられて半分眠った立星を送り出す私がいた。
例によって取り乱して仕方のないタルギ。我が子は不治の病で、望みの薄い命がけの手術に臨むのだと言わんばかりである。しかしこの手術は膀胱につながる尿管に逆止弁をつけるだけのもので、血管や神経の集中している臓器への切開でもなく、とても命には関わらないものだ。にも関わらずタルギは手術の間中、落ち着かなく動き回っては泣いたり溜息をついたり、突然しゃがみ込んでは青ざめる始末。どうも女、と言うか母親という生き物は、自分の痛みには強いが、家族の、とりわけ子供の痛みには滅法弱いらしい。そんなタルギの有様を見ていると、逆に私は冷たいくらい冷静になってしまう。思うに、「一家の大黒柱」としての親父と言うものは、幼くて危なっかしい子供、その痛みを本人以上に分かりすぎる嫁、老いた親と言う環境の中で、それらを反面的に受け取って培われるものである気がする。
子供と一緒に痛がるわけにも行かず、嫁と同じように青ざめていてはダメなのだ。自然、大きく、冷たく、堅牢な柱になってしまう。そうならざるを得ない。
そんな8月下旬。
3時間を経て、立星の手術は終わった。
その日、少しだけ雨が降って虹がかかっていた。
見たこともない大きな虹。
もしかしたらもうすぐ立星は死ぬのかもしれない。
そんな風に思った。
#ダウン症