「かゆいトコないですか?」と聞かれたら「当ててください」と言いたい

この世のすべてを笑いにかえて生きるタムケンによるブログ。過去の記憶、日々の思い、外国人の妻や障害(ダウン症)を持つ子供たちとの日常について、笑いとユーモアたっぷりのエッセイを中心に書いています。

お風呂の窓は開ける?閉める?

 

タルギ(嫁さん)と結婚して10年以上経つ。今ではどっぷりと家族になった。
育った国が違うとは言え、互いの習慣の違いにもだんだん慣れるし、むしろ違いを楽しむことさえできる。
しかし許せる部分がある一方、結局夫婦は他人同士が一緒に暮らす形態なわけで、どうしても相容れない部分だってある。
我が家ではお風呂の後片づけが、それに当たる。

住んでいるのが古い家だということもあり、お風呂には換気扇が無い。その分窓が大きい。
だから自分がその日最後にお風呂に入ったら、窓を開けて換気することになっている。多くの場合、それは仕事で遅くに帰る私の役目だ。


しかしある日、お風呂に入った私は、窓を開けての換気を忘れてしまった。

 

翌朝。

 

「タムケン、ちょっといいかな?」

 

朝から険しい顔のタルギに出くわした。
何だろう?寝ぼけている私には分からない。

 

「あのさ、昨日の夜は最後にお風呂に入ったでしょ?」
「うん」
「なのに窓を開けてなかったよね?」

しまった、と思った。

「あ、忘れてた・・・」
「ダメでしょ!
おかげで浴室が水びたしで乾燥してないやんか。
カビが生えるやんか!」

 

普段、家を守るのは嫁さんだ。そのルールを破って家で怒られる旦那は私だけではないだろう。
何時間も浴室をウェットな状態にしてしまったことでしっかり怒られてしまった。
反省しかり。

 

そして数日後のウィークデー。

割と早く帰った私。


普段、仕事帰りには家族は寝静まっているが、この日は家族が起きている時間に帰宅できた。


一人、お風呂に入った。
危うく忘れそうになったが、
何とかお風呂の窓を開けて出た。

 

一時間後。

またまた険しい顔のタルギに呼び出された。

 

「ねえ、タムケン、どういうつもり??」

 

何だろう。検討もつかない。
しっかりお風呂場の窓は開けた。

 

「えーと、何でしょうか?」
「何でしょうか、じゃないやろ!
お風呂の窓が開いてるやんか!」
「ええ!?だって俺が最後やし」
「最後ちゃうやん!
立星(りゅうせい 三男)がまだお風呂に入ってないやんか!」
「そんなの分からんがな」
「何で分からんの?立星は体操服着てるやろ!」

 

そういうことか。

立星は保育園に通っている。
その保育園は通学時は体操服を着る。
家に帰って来てもいちいち着替えたりしない。
お風呂に入ってからパジャマに着替える。
だから家で立星が体操服を着ていると言う事は、
まだお風呂に入っていないのである。

立星は1人でお風呂に入れないのでタルギと必ず一緒にお風呂に入る。
そんなわけで立星がが体操服を着ているなら、
立星もタルギもお風呂に入っていないと言うことだ。

なかなか手厳しいなぁと思いながらも、
子育てに疲れた嫁さんをいたわりつつ、
その日もミアネヨ〜と謝った。

 

そして数日後。

 

またまた早く帰った私。
いつものように風呂に入ろうとすると、
立星が体操服のままであることに気がついた。
ははーん、またこのパターンか。
流星が体操服であるからにはタルギもお風呂には入っていないはずだ。
したがって、この後二人もお風呂に入るってことだ。
今日こそは怒られるまい。
気の利く旦那として感謝される日がやってきた。
私はお風呂の後、窓を開けずに出た!

 

しばらくするとタルギがやってきた。
その目は、またもや怒りをたたえていた。

 

「タムケン、ちょっといいかな?」

 

おかしい。今日は完璧なはずだ。
なのにタルギのこの怒り方と言ったら何だろう。一体何が気に入らないのかさっぱりわからない。訳を聞いてみた。

 

「一体どうしたのさ、タルギ?」
「どうしたもこうしたもないよ!
どうしてあんたはこんなに気がきかないの!?」
「気がきかないと失礼だな。今日は立星も体操服だし、タルギだってお風呂に入っていないわけでしょ?だから窓は閉めておいたんだけど。何がいけないの?」


その後、タルギは予想しない一言を放った。

 

「だって今日は疲れてるから、
お風呂に入りたくない気分なの!」

 

ええ!?

 

そんなの分かるわけないじゃないか。
言ってることが違う!と言いたかったが、
グッと堪えた。気分に理由など無いのだから。

 

私は大きな思い違いをしていた。
嫁さんのために一生懸命気遣いをしていたが、そんなことにはあまり意味はなかったのである。
重要なのは嫁さんのために慣れない細かい気配りをすることではない。気まぐれな猫のような、女という生き物を、のびのびとわがままに振る舞わせることが、何より嫁さん孝行である、と言うこと。

相手の気持ちにいちいち気をとられていては夫婦生活など成り立たない。どれだけ年を経ても、結婚して何年たっても、女の気持ちなんてさっぱりわからないもの。

 

他所様では全く意味を成さない家庭内闘争はまだまだ続く。