「かゆいトコないですか?」と聞かれたら「当ててください」と言いたい

この世のすべてを笑いにかえて生きるタムケンによるブログ。過去の記憶、日々の思い、外国人の妻や障害(ダウン症)を持つ子供たちとの日常について、笑いとユーモアたっぷりのエッセイを中心に書いています。

韓国人が日本の卒業式に出るとこうなります

長男のコナンが先月小学校を卒業した。
幼稚園を出た頃は赤ちゃんっぽいこともあったけど、(親の勝手なイメージ)もうすっかり少年になり、心なしか声もハスキーになり低くなってきている。こうやって徐々に大人になるんだなぁ、と思うと、嬉しいような寂しいような。

卒業式当日。

小学校の卒業式は自分が卒業して以来だから何十年ぶりにもなる。
昨年から流行しているコロナのせいで在校生の送辞や参加は無し、来賓大幅減、保護者も2名までと言う制限付きだが、式を出来ないよりはずっといい。

式をする体育館にタルギと入ると、数十名の保護者が既に着席しており、中には知り合いもちらほら。PTAをやり、コナンの少年サッカークラブの繋がりもあるので、わりと顔見知りが多い。独身なら無かったであろう子供の保護者を通じた地元のつながりは、この6年間で大きく広がったと実感。
顔見知りの人たちの中に夫婦で座ると、やあ、おめでとう、ありがとう、中学ではまたサッカーやるの?ウチは別の競技で〜、○○さんちは隣の市の中学に入るらしいよ、とか何とか、近況報告でワイワイガヤガヤ。関西人は常に喋っている。

一通り知り合いに挨拶するとタルギが私に小声でささやきかけた。

「ね、タムケン、ちょっとききたいんだけどさ」
「何?」
「みんな何が楽しいの?」
「え?」
「日本の卒業式って静かってきいてたけど、楽しげにワイワイ喋ってるやん。何か楽しいの?」

何か面倒なこと言い始めたよこの子。

「まだ式の前やし、そりゃ保護者同士で久しぶりに会うんだから話に華も咲くでしょうに」
「ふーん、そうなんだ」

タルギも楽しげに喋ってたじゃないの、と思いながら答えた。タルギはふーんと、何度か呟いた。
しばらくするとまた口を開いた。

「めでたいの?」
「え?」
「おめでとうございます、って言うけどさ、何がそんなにメデタイの?」
「そりゃ無事に卒業するんだからメデタイでしょうよ」
「小学校、成績悪くて卒業出来ない子っているの?」
「おらんね、多分」
「じゃあ努力とか要らないわけでしょ。頑張って受験して入学してれば凄い!メデタイ!ってなるけどさ。誰でも卒業できるなら小学校の卒業なんてめでたくないやん。ねえどうなん?ねえねえ、どうなん?」
「うーん、そう言う見方するかね」

すでにウチの嫁さんはかなり面倒な感じだ。そして嫌な予感がヒシヒシとしてきた。韓国人、タルギの持つ大陸の目線であれやこれやと式の最中に聞いてくる予感が。
そうか。私は数十年ぶりの卒業式だが、タルギにとっては初めて見る日本の卒業式なわけだ。タルギにとっては何かと面白いと言うか、疑問になることも多いのも当然ではある。

え?こんな調子で質問攻めになるの?マジっすか!?と少なからず心中で驚愕していたところ、教頭先生がマイクをとり、挨拶をはじめた。

いよいよ卒業式が始まった。

先生に引率されながら、子供たちが入場。

驚いたのは子供たちの衣装の進化だ。もう、ちょっとしたファッションショーと言っていい。
特に女の子が凄まじい。ややフォーマルなスーツっぽい子、お姫様チックなワンピースくらいはいつの時代もありそうなもんだが、1/3はAKB48さながらで、巷で見かけたらどこかの私立中学の制服の子では?と思えるようなデザイン。一見してみんな同じようで実は全員異なるチェックのスカート。後で知ったのだがどうもAKBや乃木坂がブレイクして以降のトレンドファッションらしい。
そしてここ数年急増しているのが袴。大学の卒業式かと見まごうレベルのきっちりした仕立て。コナンの小学校では1/3近い女子が袴を着ていた。
さらに今年はは近年でも特徴的と思われる点がある。それはマスクのデザインだ。
昨年からコロナの流行であらゆる場面でマスクの着用が義務付けられている。供給が不足していた2020年の春はとりあえず何でもマスクをつけていたのであろうが、今年は世間に十分な量のマスクが供給されているため、デザインもかなり豊富になっている。マスクをつけることは当たり前、服に合わせて色合いを合わせるのも当たり前で、気合の入った子は袴やAKBスカートと同じ柄や、どこで買ったのか、あるいは手縫いしたのかと思われるハイレベルの刺繍をバッチリ入れたマスクをつける子もいた。マスクは単なる公衆衛生の備品ではなく、スカーフやネクタイのレベルに昇格したのである。左今は外出するときはマスクをしないと不安がる子もいるらしいから、さらに進んで下着の地位をも射程距離におさめていると言っていい。

女の子ほどではないが、男の子もかなりオシャレをしている。どうやって来たの?と思うくらいピチピチのスーツ、ツーブロックの刈り上げ、長めの前髪にワックスで流れをつけ、韓流ポップスターのような出で立ちが流行り。いや、そのスーツは明日からどうすんのよ、今日しか着ないでしょ?と思うのだが、それは我が子の晴れ舞台と言うことで、ガッチリお金をかけている。
袴、スーツ、AKB、韓流スターが次々とやってくる様に、目眩を感じるのは私だけだではないと信じたかった。

何てことだ。

近年の卒業式のファッション化の様相を目の当たりにし、もはやため息が出るレベルである。

そんな状況で、ウチのコナンはややブカブカのスーツを着て登場。

何やら妙に安心。現実に戻った気がした。
コナンに限らず、男の子はとりあえずキレイめの服を着せてる家も多く、さほど目立つこともなかった。よかった、息子で。娘っ子のファッションショーにはとても付き合ってられないもの。
とは言え、韓流スターもいる中で、野暮ったいスーツでいることには違いない。多少の気後れもするかもしれないが、すまん、コナン、ウチはこんなもんです。
卒業式なんて普段着でええねん、半年後には着れんやろ!捨てるしかないやろ!と憤るタルギをなだめて、メルカリの中古でゲットした子供用スーツが精一杯でした。そう考えると逆パターンもあったな。韓流スタースーツを買って、来年メルカリで中古品として売ると言う手が。いや、時既に遅いわけだが。

ファッションショーを終えた子供たちが着席した。しん、と静まる体育館。
教頭先生が再びマイクをとった。

「一同、起立!」

卒業式や入学式ではよくあるが、こういう時、保護者の動きは全く揃わない。え?立つの?とキョロキョロしながらバラバラと立ち上がる人が多い。
よく聴くと起立の指示は違う。
児童、在校生、職員、一同などがある。保護者だけ起立することは無いので「一同」と呼ばれたら立てばいいのだが。聴いてれば分かると思うのだが、なんで一同起立、で立たないのだろう。と、思っていた私の横で

タルギ、立たず。

お前もか!?

私が立ち上がっていると、あれ、立つの?と言う顔で見上げる。うん、立って、と目で促して立たせる。もぞもぞと立ち上がるタルギ。そこへ教頭先生の指示。

「一同、礼!」

ここは一斉にお辞儀。

タルギ、え?と言う顔のまま何となくお辞儀。

「一同着席!」

一斉に着席。
起立では揃わないのに着席は揃うから不思議。

「ねえねえタムケン」
「何?もう式がはじまってるから静かにね」
「いや、教えてほしいのよ、どうしても、今」
「何を?」
「なんで礼するの?」
「え?」
「さっきみんなで礼したやん。なんで?」
「なんでって言われても分からんけど、最初は礼をするね」
「誰に?先生とか来賓にするならわかるけど、誰もいないのに誰に礼してるの?」
「誰にって言われてもなぁ」

分からない。日本の神々や精霊にかな?

「神様に、かなぁ」
「見えない神様に礼してるの?日本人は神様信じないやん」
「じゃあ国旗に、かな。演壇の頭に掲げてあるし」

これがまずかった。

「国旗?国に対しての礼?じゃあ天皇に対して礼してるの?私はいちいち天皇に礼をせなあかんのか?韓国人の私がなんで日本の天皇にいちいち礼をせなあかんねん!イヤや、そんな礼は絶対イヤ!腹立つわ!」

断っておくが卒業式真っ最中のやり取りである。

しまった。国旗に礼と行った途端にタルギがプンスカ憤慨し始めた。いや、韓国人全般的に共通する感情と言えるかもしれない。

「私は国や天皇に礼なんぞせん!」
「う、うん、それでも構わんよ」

保護者が礼をしなくても大したことはない。そもそも礼は強制ではない。礼イヤ〜だの、礼アニ〜だの、カンナムスタ〜イルだの騒がれるよりは遥かにいい。ここは穏便におさめるべき。

以降、「礼!」と言われるたびに、なぜか「はん!」と胸を張って、私を見下ろすタルギ。いや、なんでそうなるのよ。何も胸を張る必要はないでしょうに。しかもなぜ私を見る?どういう気持ちなのだろう。

国歌斉唱でも、
「日本の国歌なんか知らんな」
とか
「歌わなあかんの?誰に?何のため?」
とか
「単に国歌と言うからには私は韓国の国歌でもいいのか?」
とか
「何ならアメリカ人はアメリカの国歌になってもいいのか。保護者も多国籍化しているんだから世界中のあらゆる国歌を同時に歌うことになるかもしれないけど国はどうするつもりなのか」
とか、いちいちうるさいことこの上ない。
ある意味、世界の国歌同時に斉唱とかは見たい気もするが、終始うるさい。
もめているうちにジャパン国歌終了。

次は今年は数少ない来賓の方々の挨拶。

国旗に対する礼は最初だけで、あとは校長先生や、来賓として来られているどこかの何とか委員のおじいちゃんや(忘れた)、府議会や市議会の議員さんの挨拶(忘れた)のたびに、一同は立ち上がって来賓に礼をするわけだが、カンナムスタイル(タルギはゴリゴリの釜山出身ですが何となく)のタルギさんは毎回礼をせずに「はん!」と胸を張る始末。もういいや。とりあえず静かにしててくれれば。

そしていよいよ卒業証書授与。

生徒はその他大勢ではなく、一人ひとり、校長先生から卒業証書を頂く最も親が泣く儀式。
担任の先生が名前を呼ぶ。

「6年1組 アサオカ マイ!(仮名)」
「はい!」

元気に返事をして、一人づつ、登壇して校長先生から卒業証書を頂く。シャッターチャンスMAXのこのときばかりは、生徒もマスクを外して登壇することになっていた。
我が子が小学校を卒業する思い出が、顔を隠した写真ばかりにならないように小学校がはからってくれている。
こんなこと民間なら大したことはないかもしれないが、がんじがらめの教育機関としてはかなりの覚悟と調整が必要なことだろう。PTA会長を経験した私としては学校側の苦労が透けて見える気がした。校長先生、教頭先生、教育機関の皆様、お心遣い感謝します。

タルギ曰く。

「え!?一人づつ、コレやるの!?手渡しで紙をいちいち渡すの!?全員!?今から全員!?正気っすか!?」
「そりゃやるよ。式の見どころだもの」
「ウソやん!どんだけ時間かかるねん!パパっと渡したらええやん。信じられん!」
「いや、タルギさん落ち着いて」
「これが落ち着いてられるか!」

殿、殿中でござる、殿中でござる!とタルギを抑える私。
一体全体なんだこの状況は。私は何をするためにコナンの卒業式に来たのか。憤る韓国の殿下をなだめるためでは無いことは確かだ。

卒業証書を受け取った子供は、ゆっくりと演壇を降り、保護者席の前を通り過ぎ、予め用意されたテーブルの箱に、証書を入れていく。

「ちょっとタムケン見た!?見た!?せっかくもらった証書をあそこに入れてる!なんで持ち帰って着席しないの!?」
「まあずっと持ってると不便やからね。置くところもカバンも無いし、式の間、手に持ってると曲げたり破いたりする子もいるかもしれんし」
「じゃあ一枚づつ渡す意味ないやん。
 回収するなら渡さんでもええやん。
 何のために渡すのさ。
 このクソ長い待ち時間は何なのよ!」
「まあこんな感じなのよ、日本の卒業式は」

改めて指摘されると説明できないことも多い。タルギの疑問も分からなくはない。

「変わってるわ〜、日本の卒業式変わってるわ〜。時間かかるわ〜。面倒くさいわ〜」

その後もタルギは変わってるわ〜を十回は唱えて式終了。
もうね、全然コナンのこと覚えてない。タルギをなだめている間にいつの間にか終わってしまった。
最後の最後まで、礼!と言われるたびに「はん!」と胸を張っていたのはよく覚えているが。

え?子供たちが卒業するたびにこんなやり取りせなあかんの?
韓国人を日本の卒業式に出席させると大変だけど刺激的ですよ、という話。

アンニョ〜ン