タルギ(嫁さん)は家庭菜園に憧れている。
庭に野菜の苗を植えて、育て、実った野菜を収穫し、
「ほら、今日は庭で採れた野菜よ。召し上がれ」
と食卓を彩る生活がしたいようだ。
ところが、致命的なのは「苗を買う」以降の「育てる」工程は全く興味がないことだ。
我が家ではタルギが何やらやりたいことがあると、方針は出すものの、実現すべく実務を進めるのは私の役目(にされた)。
「プラゴミ、結構たまってきてるなぁ、何とかせなあかんなぁ」
と言われれば私がプラゴミを処分する。
「そろそろマイホームとか、あってもええんちゃうかなぁ、5人家族はマンションだと狭いしなぁ」
と言われれば家を買うための資金繰りを整え、住民票移動、銀行やクレジットカード、保険会社の住所変更、引っ越し手配などの実務をすすめ、スケジュールを組む。家を選ぶ決裁権はタルギにあるが、そこに至る前後を整えるのは私。
会社でも家でも実務をするのが私の仕事。
なかなか優秀なブレーンだと思う。
しかしそんな私も、家庭菜園は断固として手伝わないことにしている。
私は大学は農学部を出ているので、植物の育て方は分かっているが(いや、誰でも家庭菜園くらいはやれるだろうけど)、畑や菜園は全く興味がない。微生物や動物は大好きだが、植物にはなぜか面白さを感じないからである。
私の興味云々とは別に、生き物を「育てる」ということは、とても手間がかかるし、タルギの思いつきを私が手伝うと、タルギの仕事はそこまでで、延々と草や虫、病気のケアなど、菜園の手入れを私がする羽目になるから絶対にやりたくないのである。
一昨年のタルギは
「窓と外壁をグリーンカーテンで覆いたい!涼しげでステキやん!」
と言い出し、ゴーヤの苗のポットをおもむろに3つ購入した。
タルギ、買ったはいいが育てる気は無いので玄関で苗を放置。
苗を買えば、私が後は全部やってくれると思っているらしい。タルギは苗だけ買ってはいるが、鉢、腐葉土、肥料、支柱、網など、ゴーヤを育ててグリーンカーテン化する道具は一切買っていないので、必要な資材を調べるところから私がやらなければならない。私は菜園なんて興味がないから、とてもやってられない。
買い主にネグレクトされているゴーヤの三兄弟、日が当たらない、水ももらえない玄関に置かれ、日に日にしおれていく。ヤバい。死にかかってる。
「み、水を下さい」
とか
「光、光を〜」
とゴーヤたちから微かな悲鳴すら聞こえる気がする。
「じ、自分ら、いい仕事しますんで!
絶対後悔させませんから!水と光下さい!」
嗚呼、ゴーヤの声が聞こえる。
「頑張ります!頑張りますから仕事ください!」
声が聞こえる。
「何がいけなかったんでしょうか?直します!お気に召さない点があったならお詫びして直しますから!(泣)」
ぐあー、悲痛な声が聞こえる!
私も玄関を通るたびに不幸なゴーヤ三兄弟の惨状を目にするが、どうしようもない。届いた日は張りがあり、色艶もあったゴーヤ三兄弟。言わばムキムキマッチョ。しかし一週間も暗くて乾いた玄関でネグレクトされたもんだから、体を支える元気もなく、ミイラのようにやせ衰え、苗ポットからしなだれて、床に突っ伏してしまっている。もはや土下座しているようにしか見えない。知らなかった。ゴーヤって死にそうになると土下座して頼み込んでくるのか。
「みず〜」
「ひかり〜」
「ムル ジュセヨー」
何やら韓国語も混じってた気がするが、ともあれ土下座して水を求めるゴーヤ三兄弟。
なんてことだ。なぜ我が家でこんな地獄絵図が広がっているんだ。
すまん。それでも私は助けられない。ここで助けたらタルギは次々と思いつきで苗を購入するだろう。あとはタムケンがええ感じに育てて理想の庭を作ってくれると確信してしまう。
タルギはAmazonでポチッとボタンを押してゴーヤの苗だのきゅうりの種だの買うだけで、あとの何ヶ月もの世話は元々断っている私が全て自動的にやるなんて冗談じゃない。
ミイラ化しつつあるゴーヤ三兄弟にかわって苦情を申し立てた。
「タルギさん、ゴーヤの苗、どうすんの?」
「え?ああ、あれ?植えるよ」
「いつ?どうやって。一週間も放置してるやん。ゴーヤ、死にそうになってるよ」
「いつか植える。ちゃんと植えるよ」
「いつか、じゃ遅いって。もう枯れそうやんか。道具とか土とか無いやん。植えようが無いよ。ゴーヤもかわいそう」
「はあ、そうなん?何とかせなあかんなぁ」
出た。必殺!何とかせなあかんなぁ発言。
<翻訳>
何とかせなあかんなぁ=私がグズグズしてる間にタムケンが勝手にやってくれたら嬉しいなぁ
しかもめっちゃうるさそうに言われた。
やらん。私はやらんぞ。
勝手に整えてはやらんぞ。
自分で世話しないなら苗なんて買わなければいい。
週末。
我が家に来た私の親父が、ゴーヤの惨状を見るやいなや、ホームセンターに走り、資材を買い、庭にゴーヤを植えてくれた。窓までの網付き。
完璧。もう完璧な手配。
タムケンの親父は土いじりが好きなのであっという間に手配してくれた。
「お義父さん、ありがとうございます〜」
「いや、忙しくてタルギさんも大変だと思うから、かわりにやっといたよ」
ぬけぬけとお礼を言うタルギ。
一見、姑と嫁の微笑ましい光景ではある。しかしタムケンの親父も実は被害者と言っていい。
このゴーヤ痛め事件から遡ること2年。
土いじりが好きな親父が、我が家に鉢植えを持ってきたことがあった。鉢には土が入り、花の種を植えたばかりとのこと。
「タルギさん、花の種を植えた鉢を持ってきたよ。これはキレイな花が咲くんだよ。置いておくね」
鉢と花の種類を確認したタルギ、即答。
「いえ、結構です。その花は好きなタイプじゃないし、鉢のデザインもイマイチなので。そのまま持って帰って下さい。キレイな花が咲くんですよね?」
「そうそう、キレイな花が、ええ!?」
タルギは自分の意見を言うことに躊躇しない。
嫌なものは嫌、要らないものは要らないとはっきり言う。
頼んでもいないデカい鉢を持ち込まれて、気に入らない花を世話して毎日文句を言うよりは、初見で断るのがいいことだと思っている。
「まさか持ち帰らされるとは思ってなかったなあ」
韓国、大陸の血を引く嫁の一撃をくらって激凹みする親父。もう二度と息子夫婦の家に花は持ってこない。土いじりはタッチしないと言いおいて去って行った。すまん親父。これが国際結婚というものなのだ。
その親父が。
2年後、ゴーヤ三兄弟を救済する姿の何と泣けることか!
涙なしには見られない。
しかも、である。
結局、キレイに植えかえたところでタルギがゴーヤの世話をするわけもなく、真夏のカンカン照りの日差しを浴びて土ごとゴーヤは干上がってしまい、あえなく枯れてしまった。あとには親父が作った完璧なグリーンカーテンを作る網と支柱が残されているのみ。
しかも、である。
草取りしてゴーヤを植えた盛り土が乾燥し、絶妙なサラサラふかふか具合になった砂地は野良猫の恰好のトイレになってしまい、毎日立派な糞がなされる始末。新たに何か野菜を植えるにも常に猫の糞にまみれるわけで、とてもそこで採れた野菜を食べる気にはならない。
(当時は猫のムギくんは居なかったので我が家の庭は野良猫の溜まり場だった)
結局、私の予想通り、タルギの気まぐれには何も手を貸さずに、ゴーヤ三兄弟への"野菜痛め"は放置しておくのが良かったわけだ。下手に親父が手を貸したばかりに、ゴーヤ三兄弟は多少の延命を得たが、野良猫の糞だらけになってミイラ化することになった。綺麗なまま玄関で朽ちたほうが良かったのではないだろうか。
で、今年。
タルギはトマトの苗をポチッとAmazonで購入。
また3株。今度はトマト三姉妹。
懲りない。めげない。ある意味一貫性があるな、ウチの嫁は。
当然、私も菜園の運営には応じないわけだが、タルギもそれは分かっている。なので今回は自分で腐葉土を買ってきた。
おお、大進歩じゃないか。今度こそ心を入れ替えて野菜を痛めつけずに育てる気になったみたいだ。
感心感心。
ん?でも腐葉土しかないな。鉢とか軽石とか支柱は?
私の疑問をよそに、苗を買って間もなくすると、タルギは高らかに言い放った。
「はっはー!見よタムケン!私はトマトを植えたぞ!」
当たり前のことでなんで勝ち誇ってるのかはさておき。
窓にグリーンカーテン作るとか言ってたのに高くのびないトマト買ってきたのもどうなの?という疑問もさておき。
「ついにやる気になったのね、家庭菜園」
「そう!もうやる気マックスなのさ。今回の私は本気なのさ。腐葉土も買ってきたし、ガッチリ植えたし!」
「それは良かった。どこに植えたの?」
「そりゃ庭に決まってるやん。見てみ。ありがたく見てみ!」
自信満々の大陸の嫁。
かなりご満悦の様子。
その成果を見せてもらった。
庭の、タルギの、家庭菜園第一歩。
トマト三姉妹を。
何か決定的に違う菜園の姿があった。